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東京地方裁判所 平成6年(ワ)10157号 判決

原告

丹羽玲子

被告

仙洞田早苗

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成六年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告は、原告に対し、金九二八万五三三六円及びこれに対する平成六年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担

第二事案の概要

一  本件は、T字形交差点において、足踏自転車同士の衝突事故があり、その一方の者が傷害を受けたことから、相手方に対してその人損(逸失利益と慰謝料)について賠償を求めた事案である。

なお、被告は、本案前に本件訴えを却下する旨の申立てをしている。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

事故の日時 平成四年六月一四日午後五時ころ

事故の場所 東京都豊島区駒込四丁目六番地先T字形交差点(以下「本件交差点」という。)付近路上(別紙現場見取図参照。以下、同図面を「別紙図面」という。)

事故の態様 被告は、信号により交通整理の行われていない本件交差点において、自転車に乗つて別紙図面のB道路からA道路に向つて右折しようとしたところ、自転車に乗つてA道路から本件交差点に進入しようとした原告と衝突したことは争いがないが、その態様については争いがある。

2  損害の一部填補

被告は、原告に対し、原告の治療費の半額四万三〇七〇円と平成四年六月二〇日に見舞金一〇万円を支払つた。

三  本件の争点

1  不起訴合意

(一) 被告

原告と被告とは、平成四年六月二〇日ころ、本件事故に基づく損害賠償請求につき、訴訟など法的手段を採らないことを書面をもつて合意したから、原告には、本件事故につき訴権はない。

(二) 原告

当事者双方で「民事上の問題において双方話し合いにおいて解決し、民事訴訟等を双方共行わない。」との書面を交わしたことがあるが、これは交通事故の捜査を終了させるため警察に提出する目的で作成されたものであり、被告主張のような合意は存在しない。また、当事者で話し合いによる解決ができなかつたことから、合意は効力を失つた。

2  本件事故の態様及び被告の責任

(一) 原告

原告は、本件交差点を左折すべくA道路の左側を徐行して走行したところ、被告は、本件交差点にさしかかる直前にB道路を左方から右方へ斜め横断した上に、徐行することなく本件交差点に進入した結果、本件事故が生じたものであり、本件事故は、道路交通法三四条三項に違反した被告の一方的な過失によるものである。

(二) 被告

被告はB道路の中央付近から弧を描くようにして右折を開始したところ、原告がA道路の中央を高速度で本件交差点に進入した結果、衝突が起きた。B道路は、A道路に比してその幅員が一・五倍と広く、優先道路であるから、原告は、道路交通法三六条三項により徐行すべきであり、また、被告が原告にとつて左方から進入したから同条一項一号により被告の進行を妨害してはならないのに、これらを怠つた結果、本件事故が生じた。さらに、原告はサドルを必要以上に上げており、これが原告主張の傷害の原因となつている。

仮に被告に何らかの落ち度があつたとしても、原告の過失の程度のほうがはるかに大きい。

3  損害額

(一) 原告

原告は、本件事故により左脛骨後踵骨折、腓骨骨折、足関節内顆靱帯損傷の傷害を受け、JR東京総合病院等で入通院をしたが、左足関節に後遺障害別等級表一二級七号相当の後遺障害を残したところ、これによる次の損害の賠償を求める。

(1) 逸失利益 五六八万五三三六円

原告は、後遺障害診断時三四歳の一家の主婦であるところ、本件事故による右後遺障害のため、労働能力が一四パーセント喪失した。そこで、昭和六三年賃金センサス女子全年齢の年収二五三万七七〇〇円を基準に、ライプニツツ方式(ライプニツツ係数一六・〇〇二五)により算定した。

(2) 慰謝料 三六〇万〇〇〇〇円

入通院(傷害)慰謝料として一二〇万円、後遺症慰謝料として二四〇万円が相当である。

(二) 被告

原告にはその主張のような後遺障害がなく、事故前と同様の生活を送つており、逸失利益を否認する。

4  和解の成立

(一) 被告

原告と被告とは、同じ会社の社員の家族であり同一の社宅に居住していたところ、当事者間で、被告において、〈1〉原告が予め指定した日に原告の長女を幼稚園に迎えに行くこと、〈2〉原告のリハビリのための交通費及び治療費の半額を負担することを実施すれば、原告は損害賠償を請求しないとの合意が暗黙のうちに成立し、被告がこれを履行した。

(二) 原告

被告が〈1〉、〈2〉を実施する旨の合意はあつたが、後遺障害に基づく損害を含め、原告が損害賠償を請求しないとの合意は存在しない。また、被告は、原告に対しこの合意を破棄する旨を通知し、原告はこれを了承した。

第三争点に対する判断

一  不起訴合意について

原告と被告とが、平成四年六月二〇日ころ、本件事故に基づく損害賠償請求につき、「民事上の問題において双方話し合いにおいて解決し、民事訴訟等を双方共行わない。」との書面を交わしたことは、当事者間に争いがない。

しかし、乙二、原、被告各本人によれば、被告は、本件事故日である同月一四日の夜に警察から誓約書を出さないと二人とも書類送検すると言われたため、警察官から言われたとおりの文案を作成し、同月一八日、入院中の原告に対して事情を説明した上で署名を求めて、右書面を作成したこと、同書面は、巣鴨警察署長に宛てて原、被告双方が作成した体裁となつており、一通のみ作成されたことが認められる。右事実によれば、同書面は交通事故の捜査を終了させるため警察に提出する目的で作成されたことが明らかであり、当事者双方が所持するための書面が作成されていないことも参酌すると、同書面を作成したことにより、原、被告間で本件事故に関して、民事訴訟等を提起しないことを合意したものとは認められず、被告の本案前の抗弁は失当である。

二  本件事故の態様及び過失相殺

1  甲六、七の1ないし4、乙一の1ないし5、証人仙洞田文江、原、被告各本人に前示争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 本件交差点は、別紙図面のとおり、T字型交差点であるが、道路の幅員に注目すれば、幅員約六メートルのB道路が直角に曲がるところに幅員約四メートルのA道路が合流する交差点とも評価し得るものである。もつとも、双方の道路ともに中央線は引かれておらず、別紙図面のとおりA道路には左右の道路端から一・〇六ないし一・〇七メートルの所に、また、B道路には左右の道路端から一・一六メートルの所に、いずれも外側線が引かれており、特に、A道路の原告が進行した方向の右側の外側線は、本件交差点の先まで連続して引かれている。そして、本件交差点の手前には、いずれの側においても停止線や一時停止の標識はなく、また、B道路がA道路に対して優先する旨の表示や標識もなく、これらの表示や標識の有無等からすれば、B道路が突き当たり路のT字型交差点と評価するのが相当な交差点である。

本件交差点の、A道路とB道路との角には民家やその塀があつて、いずれの方向からも相手側道路の交通事情は事前には分からず、また、別紙図面のカーブミラーと表示した地点にカーブミラーが存在するが、本件事故前に別の交通事故があつてカーブミラーが曲げられていたため、本件事故当時は、これによつても相手側道路の交通事情が分からない。

A道路の本件交差点反対側(別紙図面の右側)は、民家二軒先で道路が直角に曲がつており、B道路の本件交差点反対側(別紙図面の下側)も、民家三軒先で道路が直角に曲がつている。

(2) 原告は、原告の自転車(以下「原告車」という。)に乗つてA道路を走行し、本件交差点で左折するため、同交差点に向かつた。

他方、被告は、その娘である仙洞田文江(以下「文江」という。)とともに、いずれも自転車に乗つてB道路を走行し、本件交差点で右折してA道路に入るべく、文江が先行して、本件交差点に向かつた。そして、文江は、本件交差点を右折した後、原告車と衝突しそうになり、これを避けるため、別紙図面の鉄板と記載された箇所に存在する鉄板の上に自己の自転車を乗り上げた。その頃、原告車と被告の自転車(以下「被告車」という。)とが衝突したが、その態様は、原告車の前輪が被告車の後輪の右横に衝突するというものであり、この衝突の後、原告は左側に倒れた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  原告は、本件事故につき、本人尋問において「原告車に乗つて、A道路の左側外側線から少し中央寄りを、別紙図面の原告主張原告進行線と記載した実線矢印のとおり進行し、本件交差点で同外側線に沿つて左折を開始したときに衝突した。本件交差点に進入する前に、文江の自転車が須長宅側の外側線のあたりを走行してきて衝突しそうになつたが、原告車のハンドルを左に切り、また、ブレーキをかけてこれを回避した。被告車との衝突地点は別紙図面〈1〉の地点であり、衝突後、サドルから横降りをして左足を着こうとしたらボキツという音がして、左足を地面に着けないまま自転車とともに左側に倒れ、原告車が覆い被さつてきた。倒れた後の原告の頭は、別紙図面〈3〉の地点にあり、須長宅の塀と近かつたが塀には接触しなかつた。本件事故のとき、原告の自転車のサドルの高さは、原告がサドルに腰をかけた時に片足の踵が一寸上がつた状態で地面に着いていた程度である。」と供述する。

他方、被告は、本人尋問において「被告車に乗り、B道路を文江と同じコースである、別紙図面の被告主張被告進行線と記載した点線矢印のとおり走行してきた。原告車は、A道路の真ん中、別紙図面では被告主張原告進行線と記載した点線矢印のところを進行し、別紙図面〈2〉の地点で被告車と衝突した。被告が右折進行しようとしたら、原告車が正面から被告に迫つてくるような速度で進行してきたので、正面衝突を避けるためハンドルを左に切り、ブレーキをかけた。このため、被告車の前輪はカーブミラーの方向となり、原告車の前輪が被告車の後輪の横に突つ込んできたのである。原告の自転車はその場で左側に倒れたが、原告は、原告車の左側で佇立した後、原告車のハンドルから手を離し、何歩か自転車の前の方に進み、バランスを崩して倒れていつた。原告と原告車とは重なつていない。本件事故現場は毎日通行するが、本件事故当時は、カーブミラーが壊れており、真ん中かもつと右側を走行しないと曲がれないのでゆつくり走行する気持ちがあつた。本件事故の時は、徐行しながら本件交差点へ進入し、A道路の状況を視認した。そして、前記衝突地点(別紙図面〈2〉の地点)に近いところで原告車を発見し、慌ててハンドルを切つたのである。原告のサドルについては、事故後現場に到着した警察官、原告の父及び夫が、高いと言つており、現に高かつた。」と供述する。また、「原告車は、A道路と平行に左側に倒れ、そのハンドルが甲七の3の写真の側溝の排水溝の辺りにあつた。もう少し前に進んだところであつたかも知れない。原告の頭は甲七の4の写真のポスターの下の道路寄りにあつた。被告車は、別紙図面カーブミラーの右にある電柱のさらに右に突つ込んだ。」とも供述する。そして、甲七の3の写真の側溝の排水溝の辺りは、別紙図面の「3・78m」のうち「m」と記載した辺りに、また、被告が甲七の4の写真のポスターの下の道路寄りと摘示する場所は、別紙図面〈4〉の地点に相当する。

なお、文江は、証人尋問において「B道路の真ん中を通つて右折を開始し、A道路の真ん中辺りに向かおうとした。そして、A道路の真ん中を進行していると、対面から道路の真ん中を怖いと感じるくらいの速度で進行してくる原告車を認めた。原告が道を譲つてくれると思つたのに直進してきたので、別紙図面の一番右端の鉄板の方向に向けて左折し、急ブレーキをかけて、その先の駐車場で停止した。その後、衝突音を聞いて後ろを振り向いた。原告は佇立しており、しばらくしてから倒れた。衝突地点は、甲七の3の写真のマンホールの小さな蓋の辺りである。被告車は、電柱の右側のゴミ置き場に突つ込んだ。」と証言し、乙五はこれに沿う。甲七の3の写真のマンホールの小さな蓋は、別紙図面の〈5〉の地点にある(甲七の3、4)。

3  そこで検討すると、原、被告ともに衝突現場で原告車が左側に倒れたと供述しており、原告車の進行の前後の位置関係に関する限りでは、原告の供述、文江の証言、被告の供述のうち、原告車のハンドルが甲七の3の写真の側溝の排水溝の辺りからもう少し前に進んだところであつたかも知れないとの部分は、ほぼ一致して、別紙図面〈1〉ないし〈5〉にあり、これが事実であると認められる。衝突地点の、原告車にとつての左右の位置関係に関しては、まず、文江証言のうち、原告車との衝突回避の後、別紙図面の一番右端の鉄板の先の駐車場で停止したとの点は、具体的であり、かつ、これに反する証拠がないから採用し得る。そして、文江がこのような経路を辿つたことを考慮すると、原告車と文江の自転車が衝突しそうになつた経緯については、文江の証言を採用するのが合理的であり、原告は、そのころA道路のほぼ中央部を走行していたものと認められる。次に、衝突後に倒れたときの原告の頭の位置は、原、被告の供述はほぼ一致して別紙図面の「1・16m」のうち「6」と記載した付近であるとしていて、そのとおりと認めることができ、原告の身長は少なくとも一・五メートルあること(弁論の全趣旨により認める。)を考慮すると、衝突地点は、右「6」と記載した付近から一・五メートル以上離れていることは明らかである。そして、原告車は、本件交差点において左折しようとしていたことも考慮すると、衝突地点は、A道路の中央部からやや左側に寄つた部分、すなわち別紙図面〈5〉のやや下の地点であると認められる。

次に、被告の供述と文江の証言によれば、被告車は、衝突後に別紙図面の電柱の右側の方向を向いていたことが認められ、また、原告車の前輪が被告車の後輪の横側に衝突したのであるから、衝突時の被告車は、A道路とほぼ直角に位置していたものと認められる。この点、被告は、別紙図面の被告主張被告進行線のとおり進行し、原告車を発見後、慌ててハンドルを切つたと供述するが、そのような進行では、ハンドルを切る前に被告車と原告車とは平行に位置するはずであつて、右認定にかかる被告車の停車状況となることは現実的ではなく、右供述は採用し難い。被告主張の走行では、原告は早期に被告車の存在を認識して左折を早めていたものと考えられることや、被告は本件交差点に徐行しながら進入してA道路の状況を視認し、前記衝突地点に近いところで原告車を発見したと供述しており、被告は、A道路の状況を見ることができるようになつてから間もなくの地点で原告車を発見しているのであつて、時間的な余裕が少なかつたことも参酌すると、被告車は、被告が主張するよりもB道路の右側を早回りの状態で走行していたものと認めるべきである。

4  右検討の結果によれば、本件事故は、原告がA道路のほぼ中央部を進行し(原告がA道路の中央部をはみ出して右側を走行したことを認めるに足りる証拠はない。)、中央部からやや左側に寄つたコースで本件交差点を左折しようとしたところ、B道路の右側からA道路に向けて右折しようとした被告車と衝突した結果生じたものと認められる。そして、原告の左足の骨折は、衝突と同時に生じたものか、衝突の後原告が左足を地面に着いた時に生じたものか、判別すべき証拠はないが、いずれにしても、骨折は被告車との衝突の結果生じたものと認められる。被告は、原告が原告車のサドルを必要以上に上げていたことが原告の傷害の原因であると主張し、本件事故後原告がこれを下げていること(原告本人により認める。)からすると、本件事故当時やや高めにしていたことが認められるが、原告が原告車のサドルを必要以上に上げていたことを認めるに足りる確たる証拠はない。

ところで、本件交差点は、A道路が別紙図面の左の方向に延びる直線道路であつて、そこにB道路が突き当たり路として交差するものであるが、B道路が本件交差点から別紙図面の左の方向に直角に曲がつているところに狭路であるA道路が交差するものとも評価し得るところである。しかし、そのいずれにせよ、B道路から右折してA道路に進入するためには、B道路の右側を通行していわゆる早回りをすることは許されないものというべきである。しかるに、被告は、本件交差点を右側から進入したことのため、原告自転車との衝突を招来したものであつて、被告の右義務違反による過失責任は免れない。この点、原告は、被告が道路交通法三四条三項に定める走行方法をすべきであつたと主張するが、本件のような信号により交通整理の行われていない、住宅地にある幅員約六メートルないし約四メートルで中央線も引かれていない道路の交差点において、同項に定める通行方法をとることを期待することは困難であり、この点は、後記の過失相殺の点では考慮しないこととする。

5  他方、原告も、A道路からB道路に左折するに当たり、本件交差点手前で進入に備えて減速したことを認めるに足りる証拠はないのであり、かつ、若干左側というもののA道路のほぼ中央を走行したのであつて、B道路側の道路事情の確認を不十分のまま本件交差点に進入しようとしたものと言わざるを得ず、このような停止義務違反、前方注視義務違反も本件事故の原因となつていることは明らかである。なお、原告車の速度については、後輪を横から衝突された被告車が転倒していないことを斟酌すると、被告や文江が供述するほどには高速でなかつたと認めるべきである。

そして、被告の過失と原告の過失の双方を対比して勘案し、また、前認定の本件交差点の状況も斟酌すると、本件事故で原告の被つた損害については、その五〇パーセントを過失相殺によつて減ずるのが相当である。なお、原告車のサドルは幾分高かつたとしても、過失相殺において斟酌すべき程度に高かつたものと認めるに足りる証拠はない。

三  原告の損害額について

1  逸失利益

(一) 甲一、二、三の1ないし5、四、五、一二の1ないし3、一四の1ないし6、原告本人によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

原告は、本件事故により左脛骨後踵骨折、腓骨骨折、足関節内顆靱帯損傷の傷害を受け、このため、JR東京総合病院で平成四年六月一五日から七月一一日まで入院治療を受け、その後も経過観察等のため同病院に通院し、平成五年五月六日から一四日までは、抜釘術のため入院した。そして、同病院の通院と並行して黄海接骨院に通院を開始し、平成六年九月まで合計一五二日同院に通院した。また、平成六年七月、八月に名倉堂池尻接骨院に合計二二日、右下腿骨骨折拘縮後療のため通院した。しかし、平成五年一一月二二日のJR東京総合病院での診断では、X線撮影上軽度ではあるが足関節の内節石の狭小化が認められ、このため、足関節の伸展、屈曲ともに正常側に比して40/75度運動の低下があり、また、左下肢に手術による瘢痕が七センチメートル及び四センチメートル残り、痛み、つつぱり感、知覚鈍麻が認められると診断された。さらに、平成七年三月一日に東京都心身障害者福祉センターで身体障害者福祉法別表六級に相当する足関節の機能障害があると診断され、同月二〇日、東京都から六級の身体障害者手帳が交付された。

(二) 原告は、本人尋問において、右障害のため、季節の変わり目や湿度の高いときは足首が痛くなつて階段の上下が不便になる、自転車は左足を外向けにするため爪先で少し力を入れる程度である、平坦な道でも足を引きずるようにして歩く、炊事・食器洗いのため立つていると左足が痛くなる、正座ができない、和式のトイレが使えない等の不便があると供述し、甲八はこれに沿う。

他方、被告は、平成六年一月から一一月にかけて原告の歩行状況等を撮影したビデオテープを検乙一として提出し、同テープでは、原告が、健常人と変わらないように歩行したり、自転車に乗る等しているところが撮影されている。また、証人文江及び被告本人は、原告が健常人と変わらないように歩行等するのを見掛けたと供述し、乙六、八はこれに沿う。

(三) そこで検討すると、原告の右供述のうち、平坦な道でも足を引きずるようにして歩くとの部分は、被告提出の右各証拠に照らして採用し難いが、前示平成五年一一月二二日及び平成七年三月一日の各診断結果に照らせば、正座ができない、和式のトイレが使えないとの点は、常時そのような状況であるものと認められ、その余の部分は、常時供述にかかる事態が生じるのではなく、季節の変わり目、高湿度時、長時間の立つた状態の時に痛み等が生じると認めるのが相当である。

そうすると、原告は、足関節の内節石の狭小化による足関節の運動の低下や手術による瘢痕のため、右のような生活上の不便を残すとの後遺障害があるものというべきである。もつとも、原告が専業主婦であることに鑑みれば(原告本人により認める)、右後遺障害の状態によつては、労働能力に常時支障を来すものでないことも明らかであり、その喪失による逸失利益は、独立した損害としては認めるのではなく、慰謝料の斟酌事由とするのが相当である。

2  慰謝料

前示の入通院の日数、治療の経過、後遺障害の部位、程度、内容(原告本人によれば、拘縮状態の増悪防止のため今後も接骨院への通院が必要であることが認められる。)、後遺障害があるにもかかわらず逸失利益を認めなかつたこと、その他本件に顕れた諸般の事情に鑑みれば、通院(傷害)慰謝料として一二〇万円が、また、後遺症慰謝料として三〇〇万円が相当である。

3  以上の合計金額は、四二〇万円であるが、前示のとおり五〇パーセントの経過相殺をするのが相当であつて、右過失相殺後の原告の損害額は、二一〇万円となる。

4  被告が、平成四年六月二〇日に原告に対し見舞金として一〇万円を支払つたことは前示のとおりであるところ、後記説示の合意に基づく被告の協力に鑑みれば、右見舞金は、原告の入院に対する慰謝料の一部として支払われたものと評価し得るから、この填補後の原告の損害額は二〇〇万円となる。

四  和解の成立

甲一〇、乙四、原、被告各本人に前示争いのない事実を総合すると、原告と被告とは、共にJR東日本株式会社の社員の家族であつて、本件事故当時、同一の社宅に居住していたこと、当事者間で、被告において〈1〉原告が予め指定した日に原告の長女を幼稚園に迎えにいくこと、〈2〉原告のリハビリのための交通費及び治療費の半額を負担することの合意が成立し、被告は右合意を実施してきたが、当事者間で治療費の額等を巡つていさかいがあり、被告が右合意の内容を実施しなくなつたことが認められる。

しかし、右合意に当たつて、被告が右合意を実施すれば、原告は損害賠償を請求しないとの約束が成立したことを認めるに足りる証拠はない。被告は、同約束は暗黙のうちに成立したと主張するが、右の合意は内容的にみれば、休業損害と治療費の支払いに関する合意と評価することが可能であり(このことから、原告は、本件において、休業損害と治療費の支払いを請求していないものと推認される。)、原告において被告が右合意を実施すれば一切の損害賠償を請求しないとの認識を有していたということもできず、被告の和解の抗弁は失当である。

第四結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する本件事故の日以降の日である平成六年六月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。

(裁判官 南敏文)

現場見取図

〈省略〉

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